と、聞かれました。なんでだろうと思いました。
絵を描く活動を(発表し、仕事として報酬をもらうという意味で)はじめてから1年が過ぎて、相手に喜んで欲しいという以外のものが見つかりました。
知りたい。そしてそれを整頓するように出したいから、が3ヶ月後に行う個展に関してはバチリとはまります。
個展では身の回りのライフラインが”カイジュー”になって、でも特に暴れることなく日常が紡がれるというような世界の見方をしてみようとしています。自分が生きている世界を見つめて(できれば、全体を包括する大きな視点で)、自分の中を通して、出したいという野望がむくむくと頭をもたげたのです。
以前大きな会社で働いていた時に、自分は今、世界の、社会のどこにいるんだろうというわからない不安があったことを思い出しました。一度、もう少し個人的に、シンプルに社会と(市場と?)接して考えたいと思ったことも。
新拠点での居場所を獲得するのに奔走していて忘れていましたが、そうでした。知りたいです。そして、それを染み込ませるために描きたい…のかな?
こんな風に言語化できたのはたくさん教えてもらったこと、己で考えたこと、伊藤亜紗さんの本『目の見えない人は世界をどう見ているのか』、またそれを読んで知った美学の存在が大きいです。
言葉にするのはとっても怖い。曖昧が許されなくて、間違いなくピンポイントで伝わってしまう可能性が高いコミュニケーションの手段だから。
社会と自分を分けてしまうくらい自意識が強いわたしは他人にどう思われるか、気にしてかなり喋れません。
でも美学は感性や芸術といった言葉にするのが難しい認識を、言葉で解明しようと挑戦する学問だそうです。
かっこいいです。この方向に向かって歩きたいです。私はこうだぞと胸を張れたら自分を認めてあげれるかも。そのためにも、感覚と言葉をリンクさせて自分に馴染ませて、みよう。向かっている方向を、確かめるために、言葉の力をかりてみよう。
長くなりました。文章を読み返すと、次の課題も見えますね。知りたいから、描く。そして?…というような。今日はいろいろ考えて整理できて、よく寝れそうです。
2021/03/14